「偉人の残念な息子たち」 森下賢一著

偉人の残念な息子たち (朝日文庫)

偉人の残念な息子たち (朝日文庫)

あの有名な偉人の息子は意外とダメだった。ダメ息子に失望し、手を焼く親父を描いた裏伝記だ。偉人の伝記は小学生の頃、よく読まされたが、その息子たちの話までは書かれていなかった。その頃、本書を読んでいたら偉人もただの人、ダメな息子に手を焼く親父であったことに失望しただろうか。今では逆に、その人間味溢れる裏ストーリーに共感してしまうのだが。「偉人の残念な息子たち」タイトルを見て、すぐ購入してしまった1冊だ。

小学生がまず手に取る伝記と言えば、大発明家「エジソン」であろう。30歳で電話機と蓄音機を発明したエジソンは、32歳で白熱灯の実験に成功し、やがて会社設立する。その会社の名は、エジソンゼネラル・エレクトリック社である。エジソンゼネラル・エレクトリック社は現在もエジソンの名前がはずれ、ゼネラル・エレクトリック(=GE)として現在も残っている。昔、自宅にGEの洗濯機とか冷蔵庫が置いてあった記憶がある。GEはもともと米国の電気機器メーカーだが、今では世界最大のコングロマリット(複合企業)で、電気機器の他に、航空機エンジン、発電所、水素電気車両、原子力発電所などのインフラストラクチャー、プラスチックなどの素材産業、軍事産業に金融事業まで幅広い分野でビジネスを行っている企業だ。ここで、話をエジソンの息子に戻そう。エジソンは24歳のとき、自分の研究所の従業員で16歳のメアリー・スティルウェルという美しい少女と結婚した。二人の間には、長女のマリオン、長男のトーマス・ジュニア、次男のウイリアムが生まれた。エジソンも最初は、子供たちが自分と同じように機械いじりに興味を持つように、子供たちの目の前で、目覚まし時計を分解して見せたり、アルコールで走る模型の機関車を作ってやった。けれど、この子供たちは、そんなエジソンの努力にはまるで興味をしめそうとしなかったのだ。おまけに、妻メアリーもエジソンの発明には理解をしめすことはなかったものだから、エジソンは、とうとうあきらめて家庭と距離を置くようになったわけです。この辺の、親父が子供に自分と同じものに興味を持ってもらいたいという気持ちわかりますね。でも、子供たちはやっぱり親父の期待に応えることはなかった。エジソンの子供の中でも、長男トーマス・ジュニアは、エジソンブランドを乱用して、「人の考えを写し取れる機械」を製作する会社を起こすが、倒産。更に懲りずに、名義を貸した「エジソン二世化学会社」が、あらゆる病気を治せる機械を売り出し、詐欺で訴えられる。エジソンは、トーマス・ジュニアには発明家としての才能はないと見限ったが、農場を買ってやり農業に専念させる。それでも時々酒で失敗して、60歳で自殺してしまうのだ。

本書に出てくる偉人をもう一人紹介しょう。ゴーギャンは、株屋を経て独学で画家を目指した。絵について正規の教育を受けていないゴーギャンは、描画のテクニックを研究するためマネ、モネ、ルノワールなどの印象派の絵を買い集めた。集めた絵を見てもわかるように、自分で絵を描かなければ優れたコレクターになっていたと言われるほどの眼力だったのだ。その晩年はタヒチに滞在したゴーギャンだが、島の娘との間に複数の子供があった。ゴーギャンデンマーク人の妻メットの他に、島の娘14歳のヴァエオホと、やはり14歳のパウッウラと結婚する。ゴーギャンとパウッウラとの間に生まれたエミールは、クレヨンでなぐり描きした絵に「ゴーギャン」とサインして1ドルで観光客に売って生計をたてていた。エミールは体重130㎏の飲んだくれで、ホームレス同然の生活をしていた。そもそも、ゴーギャンは自分の子供たちに一切父親らしいことはしてやっていない。子供を一切扶養していないのだ。ゴーギャンが狙って結婚する相手が、島では14歳ぐらいの娘ばかりなのだから、こちらの方もどうかと思う。ゴーギャンが亡くなったのは55歳だから、けっこうなオジサンが14歳の娘に求婚していたわけだ。恋に年の差は関係ないとはいうものの、ゴーギャンの場合は恋愛にはあたらない。欧米からきた少しお金を持っていそうなふりをして、交渉の上島の娘をもらっていたのだから。ゴーギャンの方は、残念な息子を持ち、それに溜息をついた父親というわけではない。本書の結論は、やっぱり「残念な息子の原因の一端は親にあるのだよ」ということかもしれない。