「たまたま - 日常に潜む偶然を科学する」 レナード・ムロディナウ著

たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する

たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する

なぜ、ユークリッド原論を考えついたような幾何学の天才であるギリシャ人が、確率論を考えつかなかったのだろうか?それは、ギリシャ人の哲学に理由があったようだ。彼らの哲学では「未来は神々の意志により開かれる」と信じられており、論理と公理によって証明される絶対的な証明を是とした。だから、絶対性とは逆の不確実性(ランダムネス)の予想というものを受け入れられなかったのだというのが、その理由のひとつなのだ。

「起こり得る事象AとBが互いに独立していれば、そのAとBの両方が起きる確率は、それぞれ単独の確率の積に等しい。」という法則がある。例えば、既婚者が毎年離婚する確率を50分の1、自宅に泥棒が入る確率を5000分の1としよう。この場合、妻に離婚された上、その傷心な状態に追い打ちをかけるように自宅に泥棒が入る確率は、50分の1と5000分の1の積である25万分の1でめったに重なることはないわけで、重なったら相当に運が悪いと言えよう。

この問題のポイントは、「事象AとBが互いに独立している」というところにある。ところが、人は事象AとBが独立しているか、または相互に依存しているかを勘違いしてしまうのだ。例えば、飛行機の搭乗の際、2つの席が空席であるとしよう。搭乗時間ギリギリに、この席の予約者がやって来る確率は経験則で3分の2である。現在空いている2つの席両方が当初の予約客で埋まる確率は、3分の2×3分の2で、44%であり、2つの席を空席のまま飛び立たねばならない確率は3分の1×3分の1で、11%である。しかし、この2つの席が互いに独立した関係になく、2つの席の予約者がペアで旅行している(AとBが相互に依存している関係)としたら、空いている2つの席が当初の予約客で埋まる確率は、3分の2の66%になる。

そこで、「事象AとBが個別に起こる可能性がある場合は、AとBのそれぞれの確率の和に等しくなる。」という法則を利用して考えてみる。すると、空いている2つの席のうち1席を空席待ちの客に対応する場合の有効な確率は、2つの席両方が当初の予約客で埋まる確率44%と2つの席を空席のままの確率11%を足したものである55%となるのだ。「AとBの両方の席に予約者が来る」または「AとBの両方の席に予約者は来ない」どちらかが確率55%だから、残るはAまたはBの席のどちらかに予約者が来る(つまりどちらかが空いている)確率は45%である。従って、2つの席のうち1席を空席待ちの客に売ることによる重複のリスクが45%でということになる。

話を少し変えよう。あるクイズ番組で、100枚の扉のうちの1枚の後ろに1千万円の賞金が置いてあり、これを当てると賞金を貰えるゲームがあるとしよう。あなたは、そのうちの1枚の扉を選ぶ。その後、クイズの司会者が残り99枚のうち1枚の扉を残して98枚の扉を開けるのだ。もちろん、司会者の開けた扉の後ろはすべてハズレである。あなたが選んだ扉と司会者が残した扉のどちらかの後ろには1万円の賞金があることになる。もちろん司会者はどの扉の後ろに賞金があるか知っているし、賞金がある扉をさけて98枚の扉を開けている。あなたは、最初に選んだ扉か司会者の残した扉のどちらを選びなおすことができるのだ。あなたは、最初に選んだ扉をそのままキープするか、司会者の残した扉に変えるかどちらが得なのだろうか?この場合、あなたが最初に選んだ扉に賞金がある確率は100枚の扉のうちの1つだから、100分の1の確率である。あなたの最初の選択が間違っていたとすると、残りの99枚の扉に賞金がある確率は100分の99だ。そして、司会者がその99枚の扉をうち、賞金がある扉は司会者は開けないのだから、100分の99の確率は変わらないのだ。あなたは、最初に選んだ扉から、司会者の残した扉に乗り換えるのが正解である。

本書は、日常に潜む偶然を確率で科学し、不確実性は我々の人生をどのように左右しているか、鋭く考察している。これを知っているのと知らないでは、大きく人生が変わるといっても言い過ぎではなかろう。本書の代金を上回る知識が得られる確率が非常に高いのだ。