「忠臣蔵の決算書」 山本博文著

「忠臣蔵」の決算書 ((新潮新書))

「忠臣蔵」の決算書 ((新潮新書))

晦日に急いで正月に読むべき本の買い出しに行ったので、本を選ぶ時の気分は年末であるが、読むときの気分は新年ということになった。であるから、新年最初の本が「忠臣蔵の決算書」となったのである。本にも旬があると考えると本書の選択は、正月を江戸気分に浸ろうという魂胆に有効であるが、やや時期を逃した感がある。

ボクは年末恒例の大型時代劇を期待して待つ方ではないし、またこれを見ることもない。忠臣大石内蔵助吉良上野介を見事討ち果たすまでの苦労に共感し、その結末に武士の意地を見出したいわけでもない。本書も、忠臣蔵の登場人物の心情は横に置いておいて、これだけの大仕事が心意気でだけでなく、経済面でどのように支えられたのかに焦点を当てている。そう忠義だけでは、吉良の首は取れないのである。幸いにしてこの忠臣蔵は、この手の史料が豊富に残っている稀有な例であるという。ただし、これまで忠臣蔵を経済面で分析したものは少なく、本書はその空白をついて書かれている。

そもそも、劇中には赤穂藩の石高は5万石と出てくるが、この5万石という規模は、現在の価値に直すといかほどなのだろうか。自分の就職した会社が「10万石だ」とか、親から「30万石以上の大企業に勤めなさい」などと言われる現代人はいない。本書では、まず当時の貨幣価値や物価を考察し、1万石=12万円程度という分析を行っているので、赤穂藩の経済規模は60億円となる。そして歴史の授業で聞いたことがある「4公6民」という当時の有名な税率を掛ければ、藩の取り分は4公=4割である24億円である。赤穂藩は売上規模20億円強の企業と考えれば良いのだ。

では、家臣の給与はどうか。藩の最高幹部達は家老級が650石、上級武士は200石前後が多い。大石内蔵助は藩主とも遠縁の家柄の良い家老職で別格の1500石取りだった。上級武士は「知行取り」と呼ばれる領地を有し、そこからの収穫高が収入であったので大石の領地は1500石=1億8千万円収穫高で、そのうち4公=4割の7200万円が内蔵助の給料となる。内蔵助は破格の年収7200万円の大幹部、その他役員は年収3120万円、部長級は960万円といったところだろうか。これらに比較し、下級武士は「切米」と呼ばれる給与支給で10石とか20石(これでも正式な武士階級であるが)だから、年収120〜240万円というのがざらである。これじゃ武士はつらいわけだ。全国の藩のうち10万石を超えるものは全体の1割程度であり、5万石の赤穂藩は中規模の藩といってよい。そして赤穂藩は塩田を持っていたのでそこからの副収入もあり、石高に比べて裕福な方であったという話はしっている人も多いのではないか。24億円の売上規模の企業に従業員は300人ぐらいいて、役員クラスが数人で年収は3000万円、その下の部長級十数人が年収1000万円弱、一般従業員が年収200万ぐらい、更にその下に正式な武士として記録がない使用人もいるわけだ。まぁ、現在の会社組織とさして変わらないんじゃないかということである。

江戸時代と言えば、現在と比較して決して豊かな時代じゃないだろうが、もう少しリアルな貨幣経済から距離をおいた心豊かな時代なんじゃないかという幻想があった。しかしながら、その実態は「あるところにはあり、ないところにはないという」ということでは、今とさして変わらない。「武士は喰わねど高楊枝」(=貧しさを表に出さず気位を高く持って生きるべきで、やせ我慢することのたとえ)とあるように下級武士は年収200万円で貧困に喘いでいたのは、現在のワーキングプワーと変わらない。一方で家老級の内蔵助は年収は大企業の幹部並である。昔は良かった、今ほどの格差社会ではなかったからというのは、やはり幻想なのだ。ただし、下級武士でも討ち入りに加わった者は多くいて、これはやはり武士としての心意気というのがあったのだろう。

さて、吉良の首を取るには一体いくらのコストが係ったのか?浪漫派時代劇ファンの批判を買いそうなこの一冊。武士の経済学読んでみたいと思いますか?そして、生まれ変わるなら江戸時代でしょうの方、生まれ変わるなら上級武士がいいと思うのですがいかが。