「和僑」 安田 峰俊

上海の日本人街にあるカフェで著者が知人を介して取材のために面会したのは、上海のアンダーグラウンドに深く関わる年齢60代前半の鈴木義龍氏である。鈴木翁は、上海における唯一の公認???日系ヤクザ組織義龍会の現役トップ。

著者自身は、大学で中国語を専攻し、それがきっかけで数年間中国の深圳大学にも留学し日常生活における中国語会話には何ら困らないコミュニケーション力はあるという。大学卒業後も、中国関係の取材記事を書くフリーライターとして飯を喰っているいわゆる中国通である。その中国通である著者の視点で現在の中国を俯瞰したとき、中国に居住する日本人には計り知れない人種がいるということに気付き、これに興味を持つ。

鈴木翁もその一人であり、なぜ日本国内ではなく上海でのヤクザ稼業なのだ。鈴木翁の奥さんは中国人でその義弟が中国の公安(中国では諜報機関でなく警察などの治安行政機関全般を意味する)と中国マフィアの両方に大きな影響力を持つ人物である。義龍会は、上海における日系企業界から、その秩序と利益を中国の公安当局に代わって守る(踏み倒された債務を取り立て、トラブルの仲裁などをするということ)ための組織として、日本国内でも有力暴力団の大物であり、上海の公安当局にもコネのある鈴木翁に要請があって設立されたという。設立にあたっては、公安当局の上層部へ鈴木翁が「これこれ、このような事情で上海に日系ヤクザ組織をつくるが良いか」と挨拶にいく。公安幹部は「かまわないよ」と簡単に事が運ぶ。それでもって「殺人」以外のトラブルは大目にみてくれるとの暗黙の了解まで取り付けたようなのだ。鈴木翁が空港に知人を送迎に行くときは、公安のパトカーをタクシー代わり出来るし、サイレン鳴らして緊急車両として交通法規も無いに等しい立場(法規制の枠外の身分)だそうだ。

こんな中国公安組織だから、日系企業の正当かつ公正な利益を守ってくれるわけではなく、公安自身が法外なみかじめ料を強要してくるのだから、それなら日系ヤクザ組織で合理的なコストで自衛してもらおうというわけだ。中国公安はヤクザよりたちの悪い連中だということなのだ。現代の中国社会でそんなことあるのかい10年ぐらい前の話ではと、思わず本書の発行日を確認したが2012年である。これは現在の中国、それも先ほど万博まで開催した発展目覚ましい国際都市上海の話なのだ。

一方で、上海の日本人駐在向けマンション「東櫻花苑」(http://www.shsakura.com/)に居住する中国居住の日本人の生活環境も興味深い。ここは本当に中国上海なのだろうかと目を疑う。居室の紹介画面には、日本の標準マンションと何ら変わらないリビングダイニングに隣接してなんと和室が見てとれる。和室は赤ちゃんのいる家庭には授乳に便利と人気があるらしい。マンション階下に入居する和食レストランからカツ丼の出前も頼めるので、上海にいながら畳敷きの和室でコタツに入ってカツ丼を食べることも可能だ。コタツの電源も心配はない。中国の電源コンセントは220Vなので日本から持ち込んだ家電品は使えないが、このマンション内では電源が100Vに変換されているので日本の家電製品がそのまま使用でき、上海で新たに家電製品を買う必要もない。

中国ではインターネット検閲(金盾)が行われており、サーチエンジンでの特定の言葉の検索結果に対するフィルタリングがあるので、中国政府にとって好ましくない検索は通常出来ない。ところが著者が東櫻花苑内の無線LANを利用してスマートフォンで「天安門事件」の検索が出来てしまったという。中国内でも5つ星ホテルのような外国人が主な宿泊客である施設と同等の特別措置が取られているようなのだ。このあたりを調べてみるとやはり「北京のある五つ星のホテルのいくつかでは、少なくともこの1年以上 Facebook へのアクセスが制限されていません。」との書き込みが見られるので、場所によって異なるようなのである。

東櫻花苑の賃貸費用は30万程度以上と高額なので、大企業の駐在員が社宅として、また中小企業なら幹部社員そしてJETOROなどの公的機関の職員がほとんどだ。東櫻花苑内には、スターバックス、スポーツジム、大浴場、コンビニ、カルチャースクール、日本食レストラン、図書館などの施設を完備。更に防犯壁、ガードマンや防犯カメラによる三重のセキュリティにより安全が保障されている。子供たちは「日本に帰国しても何の違和感なく日本の学校にとけこめるように」を教育方針としている日本人学校の虹橋校と浦東校に通学しているので、コアな中国と接触することなく、この地域から他に出歩ける場所もあまりないので、悪い環境に影響されず極端な不良化もしないそうだ。この範囲で完全に生活が完結することが可能なのだ。東櫻花苑のような日本人専用の高級マンションは暗黙の治外法権地域なのだ。

著者は、東櫻花苑に暮らす日本の生活をそのまま持ち込める上流層とも呼ぶ一時滞在的日本人居住者(=はなから中国に永住するもりはなく、あくまで仕事上の過程として)とそれ以外の出稼ぎ的日本人居住者階層を区分し華僑にかけて、それらを「和僑」と呼んでいる。和僑は、わざわざこんな混沌した中国にリスクを冒して生活の基盤を移すのか疑問を持ったのが本書執筆のきっかけだという。それはギラギラとした経済的な成功なのか、それともそれ以外の何かがあるのか、そこのところを取材で探っている。

共産党一党独裁の「中華人民共和国」と中国大陸一帯の地域や文化、人間の集合体としての「中国」というものは別の視点で見ていく必要がある。そもそも中国人に自国のためというような一国のまとまりを重視する発想・感覚は希薄らしい。「中国人」は存在するが「中華人民共和国人」というのは、いないのではないか。広大な国土に多人種、多文化が共存しているのだからそれも当然なのだろう。「そんな中国を隣国に持つ、我が国は大丈夫なのか?」というまっとうな話は横に置いておき、中国の5つ星ホテルでFacebookTwitterは本当にアクセス制限を受けないのかというのを試したいのである。