『幕末日本探訪記―江戸と北京』  ロバート・フォーチュン著

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

本書は幕末期に日本を訪れたスコットランド出身のプラントハンターであるロバート・フォーチュンの手記である。「プラントハンター」とは、食料・香料・薬・繊維等に利用される有用な植物や、観賞用植物の新種を求め世界中を探検・冒険することを職業とする人のことだ。著者ロバート・フォーチュンが日本での体験や風景、それに基づく感想を過剰な表現を用いることなく率直に描いている。現代を生きているボクが直接に観たことも、これから観ることもない江戸という町を想像するためには、あくまでよそ者である著者の立ち位置からの視点が大変都合良いのだ。

江戸末期から明治にかけて、様々なかたちで日本を訪れた外国人がこの手の手記を残している。東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅したイザベラ・バードの『日本奥地紀行』、イギリスの外交官アーネスト・メイソン・サトウの『一外交官の見た明治維新』、薩摩藩主の家庭教師として招かれたエセル・ハワードの『明治日本見聞録』と、どれも当時の日本を想像するのに大変興味深い1冊だ。

本書の著者は、プラントハンターという職業柄、江戸の町を大きな庭園のようなものとして眺めている。著者は、あるとき品川の愛宕山へ登る。愛宕山は江戸の町に点在しているいくつかの丘陵の中でも最も高く、江戸の町を俯瞰しようという著者の目的に適っていたのだろう。愛宕山の頂上には、その地の守護神が神社に祭られ、境内には参拝や遊覧の客にお茶を供する休憩所がいくつかあった。二百万の人口を持つ大都市としての江戸を眼下に見下ろした著者は次のように記している。「半月形をした湾の海岸沿いに数マイルに連なって江戸の町並みが延びている。湾の海面はガラスのようになめらかで、あちこちに漁船や和船の白帆を見ることができる。また、湾内にはいくつかの台場砲台がこの城下町を防衛するように配置されている。家並みや寺院で埋まった低地を流れる隅田川には木製の4〜5本の橋が架かっている。そして、家の密集した下町の反対側には、厚い岸壁と深い堀に囲まれた大君(将軍)の宮殿(城)と官庁街が広がっているのが見られた。」と、おおよそこんな文章が綴られている。この部分を読むと、自分自身が愛宕山から眼下に広がる江戸の町を見下ろした気分になるから愉快だ。

著者は、プラントハンターの職分で植木屋が多い染井(駒込)や団子坂(千駄木)にぶらぶらと植物探しに出かけるのだが、途中、本郷の加賀屋敷を横目に進みながら、日本でも最も権威ある大名として加賀前田氏を見ている。現在この加賀屋敷は、東京大学となっていることは有名だ。団子坂の描写は、「両側に樹木の多い谷間にあり、庭や魚を養殖している釣堀や茶屋がこの丘の中腹にある。丘の頂上に向かって上がっていくと恰好の良い生垣が並び、みごとな梅林がところどこにある。茶屋で何杯か茶を飲み、茶代をはずんでやってから、そこいらの植木屋で珍しい植物を買った。」と、ここでもこんな調子なのである。著者の江戸散策の部分を読んでいると、無性に散歩に出たくなる。散歩に出て茶屋(カフェ)でお茶をして、お茶代をはずむということはないけれど、江戸情緒がのこる神社とか生垣とか土塀なんかを見つけられたらと思ってしまうのだ。

本書は江戸職人の生き残りのような古老が語る「江戸っ子ってぇのはな〜」というディープな世界ではない。例えれば、「地球の歩き方-江戸編-」といったところだろうか。どこどこの風景は素晴らしいとか、あそこの茶屋の娘は美人で愛想が良いなど江戸のおすすめを紹介しているかのようだ。そんな本書だから、気になる箇所を所々開いては、チラリと読んでみている。本書は読んでその内容をどうこう考えるというより、江戸の町の描写をサラリと感じ取り、「もし江戸に旅行に行ったら、こことここは見物しようではにか」と夢想して手に取るのが正式なスタイルだ。