「郊外はこれからどうなる?(東京住宅地開発秘話)」 三浦 展著

ボクが新入社員として入った会社の入社式のゲスト講演者は泉麻人氏だった。泉氏の東京の風俗を面白おかしく書いた「東京23区物語」のような本が大好きだった。そのノリを期待して手に取ったと言ったら大いに違い、本書は東京の郊外について面白おかしくでなく、まじめに書いているが、ボクの中では同じ興味の延長線上にあるのだ。東京の下町に生まれて育ったボクには、馴染みの薄い郊外というものが、何か新しく、清潔で緑に隣接した解放感溢れる魅力的な空間として感じられてきた。だから、郊外がどのように生まれ、これからどうなっていくかは興味深い。本書の著者は、パルコへ入社し、マーケティング情報誌「アクロス」の編集長を務めた人で、東京の住宅地開発の歴史と、山の手の延長としての郊外を我が国の人口動態や海外都市の郊外と比較しながら、その今後まで予想している。

著者は、東京の山の手を時期に応じて4段階に延長していったとしている。第一の山の手は、明治初期から開発された現在の東京大学で元加賀藩前田家の屋敷であった本郷台地。第二の山の手は、山手線の内側西半分で、そこはもともと人があまり住んでおらず、江戸時代の大火を逃れるために大名が都市部の上屋敷に対して、避難地としての下屋敷をおいていたのだが、そこが明治時代に解放され、交通路線の整備とともに住宅地となった。御殿山、池田山、代官山、西郷山と山のつく地名が多いのが特徴。こうして、山の手線の内側は住宅地となっていったのだが、その後、更なる人口の増加により、新宿、渋谷、池袋がターミナルとなり第三の山の手として、ターミナル駅につながる沿線(小田急・東京・西武など)沿いに開発された目黒・世田谷・杉並区の住宅、そして第四の山の手として、東京の三多摩、神奈川県、千葉県に開発された郊外住宅地(多摩プラーザ・新百合ヶ丘など)がある。著者は、この第4の山の手というコンセプトを考え出したが、パルコであり、著者も新入社員当時これに関わったのだという。当時パルコは、新所沢に出店するにあたり、「えっ!こんなところに店を出してお客さんは来るのか?」という不安の声を打ち消すために、店を出すための根拠となる強力な裏付けを必要としていたのだ。テナントに対し、新たな山の手への進出であると説得するためのマーケティング概念だったのだ。そして、バブル時代の到来もありパルコの出店した所沢は88年の地下上昇率日本一となった。

人口増加に伴い、ますます都心部に住宅を持てなくなったことから東京隣県の神奈川・埼玉・茨城・千葉へ郊外が拡大を続けていった。都心部へ電車に乗って出勤することは、女性には体力的に厳しいことから男性が都心部の会社へ通い、残された女性が郊外の家を守るという分業体制が一般的になり、昼間の郊外には女性しかいないというジェンダーや職住の分離がおこった。米国など郊外先進国では、このような郊外のあり方に疑問や批判が生まれたので、これの代案としてのアーバニズムというものが考えられた。これは、鉄道駅を中心に、商業施設や住宅地がその周りを囲んでいる、といった都市モデルを想定し、職住接近を基本としたコンパクトシティともいえる都市構造であった。自宅から歩車分離で安全性の高い道路や緑地を歩いて会社や学校へ向かう田園都市生活。緑地のまわりには、様々な階級の住人が小さな家、裕福な邸宅など混ざり合って立っているのが、その町の魅力となっているような郊外を理想としたのだ。

著者の最近のアンケートによる分析では、都心部に住む人は10年後も同じ都心部に住み続けたいと考えている人が大半であるが、郊外に住む人10年後も同じ郊外に住みたいという人が10〜20%と少ないという。郊外に住む人は、地方都市に住みたいという人が多いのだという。郊外に住む女性が働いていて勤務先が都心にあるとすれば通勤が大変であり、女性が高学歴化しているのに、郊外には高学歴の女性は働く場所が少なく、働きながら子育てがしやすい地方都市に住みたいと考える女性が多いのではないかという。また、地価が下がっている状況で、多額のローンを組んで郊外に家を買うことはリスクが多いと考えている人も多く、今後は郊外人口が増加することはないであろうというのが、本書の結論である。