「99.9%は仮説」 竹内薫著

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

「今更、科学を!」なんて言うなかれ。これまで、「ボクは理系というより文系かな?」と漠然と思ってきたわけですが、そもそも文系理系と受験するわけでもない現在、この区分に大した意味はないと気づいた。だから、科学について、すごく入門書的な本を読み漁るのは、これから理系人間になってやろうという狙いがあるわけでもない。先頃、欧米諸国では、一般の人が気軽に科学雑誌を手に取る雰囲気があると読んだ。科学雑誌自体も、そんな人が多いので価格がこなれていて、「チョット読んでみるか」という敷居の低さがある。科学雑誌を気軽に眺めて、「フムフム、最新の宇宙誕生の理論はこうなっているのか」とか「放射能汚染の危険度はそういう意味か」とか記事を斜め読みできる恰好がつけたいんですね。で、そのあたりを楽しむということになると、「入門的な本を少しばかり読まんと」というのが動機の1冊です。

著者は、科学は99.9%が仮説であるという。99.9%と言えば、まぁほとんど仮説なわけです。ということは、科学で証明されていると思っていたことのほとんどは今後未来に向かって、その証明が覆る可能性もあるのです。これは、想像していた以上に大きな割合で、科学はそれほど完全なるものではないということ。例えば、「飛行機はなぜ飛ぶのか?」という疑問は、完全に解明されていないという。「エッ!あんなデカい鉄の塊が空を飛んで、数百人の乗客を乗せているのに、それが科学的に証明出来ていない。結果オーライで飛んでること」を知っていましたか?ある説によれば、飛行機の翼の断面をみると蒲鉾のような形をしている。翼の上部が弧を描き、下部が直線で、前方から空気が流れてくると、この翼で空気の流れが上下に分かれて流れ、翼の後部で再度合流する。空気の流れ(気流)は翼上部の曲面と下部の直線では、上部の曲面の方がより多くの距離を流れることになる。翼の前方で分かれた気流が、翼後方で同時に合流するならば、曲面を流れる気流は、下部の直線を流れる気流より速度が速くなければ、同時に合流できないことになる。従って、翼上部の気流の方が、流れが速い。そして、流れが速い方の気圧は低くなるので、気圧が高い下部から上部の気圧の低い方角へ、揚力が生じる。というのが、飛行機が飛ぶ理屈だ。が、実は翼後方で気流が同時に合流するという根拠はない。この根拠が怪しいと、この理屈は根底から覆ってしまうのだ。最近では、翼の後方に気流の渦が発見され、この気流の渦が飛行機を飛ばす証明になりそうだとの仮説があるが、まだ完全に証明されていないそうだ。だから、飛行機は実際、なぜ飛んでいるのか解明されていないのだ。

「科学」と「宗教」は密接な関わりがある。有名なダーウィンの進化論もアメリカでは、聖書の地球の創造者は神であるという記載から、これを信じている人は3割程度だとか。科学と宗教の違いとは何か?本書では、これを「反証することができるのが科学である」と定義している。理論に反する実験やデータが出てきたらその理論はダメだと言えるのが科学なのだが、宗教の場合は「いやいや、それでもそれは神様のおぼしめしで、人間の知恵では到底わからないものだ」と言い訳してしまうのが宗教。だから宗教には反証は関係ないのだ。

歴史では、その時代の政治家や軍人がその仮説に基づいて、考え行動した結果を後から振り返って知ることができる。だから、現在直面している問題にどのように対処していくべきか推定することもできる。科学も仮説から始まるのだから、これと一緒で科学史というものを理系教養のバックグラウンドにしていく必要があるんだと本書は言っている。「じゃぁ次は、科学史にも手を出さないとね!」と興味を更に拡大してくれた1冊でした。

「理系の子」高校生科学オリンピックの青春  ジュディ・ダットン著

高校生科学オリンピックの青春 理系の子

高校生科学オリンピックの青春 理系の子

ある著名な書評家のコメントでは、少し早いかもしれないが今年ナンバーワンのおすすめ本かもしれないというのが本書。そこで、amazonの売上ランキングを調べてみた。総合では805位であるが、ノンフィクションでは35位、そして科学読み物としては1位である。本書の内容から少し外れるが、ボクが中学生の一時期に定期購読していた「Newton」という科学雑誌がある。このNewton今でも書店にいくと店頭に並んでいるのでかなりの老舗科学雑誌なのだろう。もっとも売れる時で、毎月30万部だそうだ。一方、米国では「サイエンティフィック・アメリカ」という科学雑誌が有名でこちらは毎月70万部の発行である。これを日本語翻訳したのが「日経サイエンス」で毎月2万5000部とガクリと減少する。現在の日本では、科学雑誌はあまり売れないのだ。本書「理系の子」についても科学読み物としての1位が総合では805位と大きく順位が落ちるのは、この分野の読み手がすごく少ないからだろう。

本書の内容であるが、アメリカで開催される高校生の科学オリンピックで、賞金総額は4百万ドル以上のインテル国際学生サイエンスフェアで賞を争う少年少女の話だ。本書の構成は、単にインテル国際学生サイエンスフェアの模様をレポートしたものではない。物語として読んでも面白い構成になっている。インテル国際学生サイエンスフェアに出場権を得た、複数の子供たちのそれぞれの背景とその驚くべき研究成果を各章で紹介しながら、最後の本戦でどの子供が賞を獲得するのかという、ドキドキ感を持ちながら読み進めることができる。10歳の時に爆薬を製造し、その後核にとりつかれた少年が、インテル国際学生サイエンスフェアでは自家製の核融合炉を製作して乗り込んでくる。10歳で爆弾でその後核融合だから、両親としては最初、どんな恐ろしいことになるのだろうかと、大変子供の将来に不安をいだいたようだ。ネットで検索して、放射能を持つ物質を収集したり、誕生日プレゼントに放射能測定器ガイガーカウンターをわが子にねだられるというのは、怖い。自宅で核爆発でも起きたらと思うと夜も寝られないだろう。暖房のない貧しい家に住む少年は、廃車のラジエターとペットボトルを組み合わせた、ほぼタダで製造可能な熱交換システムを製作し、病気の妹のために自宅にクリーンな暖房設備を設置した。なんと子心温まる話ではないか。他にも、モデル並みの容姿で映画にも出演しているイケてる女子高生が、一夜にしてミツバチが原因不明に大量に失踪する現象である「蜂群崩壊症候群」と農薬の関係の研究を発表する。彼女はモデルで女優でブロンドで、豪邸に住んでいるし、サイエンスフェア会場には素敵なファッションで登場しダンスも踊る。完全に科学オタクのイメージを壊すのだ。と思えば、ある聞いたこともないハイスクール「イーグル・ポイントが登場。イーグル・ポイントとは少年院内高校だった。地球外生命についての研究を発表した彼らは拘束具をつけられ、看守が付き添い逃亡しないよう見張られていた。もちろん他の出場者はそれを知らない。というように出場者は、天才、女優、囚人とその背景が「本当かよ!」というぐらい多彩である。ただし、どの少年少女もインテル国際学生サイエンスフェアで賞を取り、将来の自分の道を切り開こうと懸命なところは一緒だ。多額の賞金は、ある者にとって大学進学のための資金を得るためであったり、自身の研究をもとに起業する資金だったりと様々であるが。

本書読むと、自分が理系or文系なんて区分している場合ではない。もう一度Newtonを思わず読み返してみたくなる。広い話で言えば、日本の未来もここにあるのかもしれない。理系離れが著しい日本が世界の中でそのポジションを下げ続ける原因の一つだろう。科学って面白いよね。と今更ながら思うのだけど。の1冊である。

「エリア51」 アニー・ジェイコブセン著

エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実 (ヒストリカル・スタディーズ)

書店の棚を物色中に、シブいシルバーの装丁に思わず惹かれた一冊だ。世界で最も有名な秘密基地エリア51について書かれ、おまけに全米ベストセラーとの帯封にあるのが購入の決め手になった。エリア51と言えば、宇宙人の遺体や墜落したUFOの残骸が隠され、米軍による地球外生命体の研究がされているという噂(=ロズウェル事件)もある基地だ。子供の頃テレビの特番でこの手の取材番組に興味を持って、見ていた人は多いだろう。番組の結末は結局のところ、謎は謎のままでおわるのだ。エリア51というとその存在が、かなり有名になりながらも、未だ米国政府は、その存在を正式に認めていない。ジャーナリストの本書の著者は、既に秘密秘匿期間が切れ、開示がゆるされた情報と実際にエリア51で働いていた100人以上の関係者にインタビューして、エリア51の真実に迫るのだ。

ネバダ州の砂漠地帯にある核実験場に隣接するかたちで、グルーム湖の乾燥した湖底部分にエリア51は作られた。エリア51は許可のない航空機の飛行は制限されており、夜間にエリア51を訪れる航空機は、着陸態勢に入っても高度が100mを切るまで、滑走路に照明は灯らない。そして航空機が着陸するとすぐにその照明も消され漆黒の闇が広がるという。エリア51では「知る必要がない者は、知る必要がない」を徹底しているので、その基地の全体像を知る者は米国政府の一握りの者だけである。あるプロジェクトを担当するもは、となりのプロジェクトで働く者が何をしているのか、お互いに知らない。月曜日の朝に、家族と別れ、空港に集合した後は専用機でエリア51へと飛ぶ、そして金曜日の午後の便でまた家族の待つ町へと飛行機で帰るのだ。ただし、家族にも自分がエリア51で何をしているのか話をすることは厳禁である。このルールを守れないものは、仕事を失うし、秘密漏えいの罪で牢獄に入れられる場合もあるのだ。

そこまでして、秘密にされたエリア51で何が行われていたのだろうか。エリア51の設立初期に行われていたプロジェクトは、超音速で高高度を飛ぶ偵察機の開発である。当時冷戦状態であったソ連が、自国内に保有する核兵器を中心とした戦力を米国は喉から手が出るほど欲していた。そこで、ソ連のミグ戦闘機も、迎撃ミサイルも届かない高高度を飛行し、上空からの高性能カメラによる撮影でスパイしようという意図で新型偵察機の開発をCIAを中心としながら、急いでいた。スパイ行為がソ連に知られた場合、核戦争への可能性も否定できないことから、このプロジェクトは極秘で進ませる必要性があったのだ。そして、この偵察機は音速の3倍で飛行し、Uターンするだけでも300㎞の空間を必要とする。任務を達成し基地へ帰還するためには、3万8000リットルもの燃料を必要とするが、これは多くても少なくてもいけない。燃料が不足すればもちろん墜落するし、着陸時に多くの燃料を残しているとその重量でブレーキが破損、滑走路をオーバーランしてしまう。そこで、この航空機は燃料補給の調整を飛行しながら燃料補給機から受ける。ただし、マッハ3で飛ぶためのこの航空機は、めいっぱい減速しても燃料補給機が空中で並んで飛ぶには、あまり速い。そのため、補給中の燃料俸給機との接触事故の危険が常にあった。空軍のベテランパイロットでも音速の3倍で飛ぶこの航空機を操縦するのは命がけであったという。更に、この航空機はソ連のレーダーに探知されないことを追求しステルス化していく。レーダー波を吸収する塗料、そしてレーダー波の反射を拡散する形状とテストを重ねるのだ。この航空機の名は、「オックスカート」と呼ばれ、のちにこれをベースとした空軍機ロッキード社の「SR-71 ブラックバード」となる。

エリア51をここまで秘密にし、世間の目から隠していた理由は米国とソ連の冷戦状態にあり、ステルス偵察機の役割が両陣営の大量破壊兵器核兵器)の保有量の探り合いにあったのだ。これだけの規模の研究開発資金を秘密裏に調達できたのは、第二次世界大戦で被災した欧州諸国のために、アメリカ合衆国が推進した復興援助計画であるマーシャルプランの資金の一部をCIAが融通できたからだという。そして、エリア51は現在も存在し、何らかの軍事的先端技術の研究開発を行っている。もちろんその内容は機密事項で公開されてない。

「鎌倉文士骨董奇譚」 青山二郎著

鎌倉文士骨董奇譚 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

鎌倉文士骨董奇譚 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

ボクの学生時代に現国の題材となる難解な文章と言えば小林秀雄だった。ろくに勉強せずとも現国ならば点が取れると思い込んでいた本読みのボクとしては、何度読んでも内容が理解出来ない日本語の文章など無いであろうと思っていた。であるのに、小林秀雄は何度読んでも理解出来ず、それが劣等感の一部となって今に至っている。小林秀雄を正面きって読むことは、再度の劣等感の積み重ねとなる予感から、小林秀雄を交流のあった本書の著者である青山二郎の視点から見た小林秀雄を理解するというフィルターを通すことを期待して選んだのだ。

青山二郎は、麻布で青山八郎右衛門・きん夫妻の次男として生まれた。当時の青山家は大地主として、貸家業で多額の収入を得て、『時事新報』の全国の資産家名簿に常に名前を列ねるほどの裕福な家柄であった。そんな二郎であるから、実家の持家である長屋に貸家暮らしをしている身分のときも、二郎の身の回りの陶器や家具は豪華な骨董品を日常生活に惜しげもなく使っていたのだ。ある時、友人が二郎のもとを訪れて、「織部の逸品が手に入ったそうだね。見せてもらいに来た。」と言う。その友人が二郎の宅でタバコを吸いその吸いさしをこすりつけていた灰皿こそ、何のことはない当の織部だったのだ。このように二郎は、骨董を愛していたのだが惜しげもなく日常に骨董品を使いぬいていた。二郎は、当初資産家の両親からの援助でそんな生活を続けていたようで、それでも友人との酒代が不足すれば、骨董を売ったり借金したりと、それなりに苦労をしていた。

そんな青山二郎は何を持って身を立てていたのかと言えば、美術評論家である前に本の装丁家であった。陶器の絵柄に詳しかった二郎は、これをヒントに人気の装丁家として、十分に食べていけるほどであった。美術評論家としては、書物を読んだり大学で研究したりというタイプの評論家でなく、一つの陶器と果し合いをするごとく何日でもじっと向かい合い眺め、いじり、抱き合って、これはどこそこの宋の器であろうと結論する。これに至る論理的な説明は二郎に問うても答えられない、それでも二郎の鑑定は、専門家の判定にも勝ったのだ。小林秀雄は「美しい壺というものはある。しかし壺の美しさというものはない。」と言った。二郎もこれと一緒で、美というものは己の創造するものだという考えに立っていた。

ここまで書いていて、ふと突拍子もないことを思いついた。所ジョージの世田谷ベースに出てくる趣味のクルマ、模型いじりだ。所ジョージは、吊るしの新品を大そう好まない。だから、大枚はたいて買った新車に独特の感性でペイントしたり、大胆に加工してしまう。これがカッコいいというスタイル。これって、二郎たちの美というものがそこにあるものでなく、己で創造するものだの精神につながるんじゃないかって。小林秀雄や二郎は、戦争の影響もあるが鎌倉や伊東にひきこもり、美の創造に励んでいる。所ジョージが米軍の基地に見立てた遊び場で、自ら創造する美を追求していることに似ている。
青山二郎から見た小林秀雄、そしてその周辺の美というものへのスタイルから、あまりに話が飛んでしまったが、本書はそんな話だと思って読めば面白かろう。

都会を少し離れて隠棲し、自らの美を創造するという生き方に憧れる面がボクにもあるから引き付けられた一冊だ。そうそう、本書で二郎は北大路魯山人との交流についても大きくページを割いている。少し前、漫画「美味しんぼ」で美食を追求する陶芸家のモデルにもなった魯山人だから、こちらの方の興味もあれば是非読むことをおすすめしたい。

「銃・病原菌・鉄」 ジャレド・ダイヤモンド著

地球上には、近代化した先進国が栄えている一方で、貧しい後進国が存在する。近代ヨーロッパ文明が、アジアやアフリカを植民地化し、その影響が今日に至っても大きな地域間格差を産んでいることは歴史の授業で学ぶ。本書では、なぜこれほどまで人類の歴史の中で、地域間の格差が開いてしまったのだろうかと問う。学校で、習う歴史では、近代ヨーロッパが、鉄製の農具や武器を早くから手にしたことで、これを持たない者を駆逐したと教えるだろう。本書は、このような回答に止まらず、そもそもなぜ鉄製の農具や武器をいち早く手にした地域と、これを持ち得なかった地域があったのかという、より根源的な疑問に初めて答えた書籍である。

人類は狩猟採集生活からスタートした。これが自ら農作物を生産し、家畜を飼うことで定住化していくグループとそうしなかったグループに分かれる。農作物を生産するということが、いかに文明の進歩に大きな影響を及ぼすかと言えば、集団が村、町そして国になる過程で決定的なことなのだ。農産物を生産するということは、生きるための食料=カロリーの余剰を持つということだ。狩猟採集生活においては、常に余剰のカロリーを備蓄することが不可能だ。余剰カロリーを持つことで、狩猟採集を生業とする以外の人員を養えるようになる。つまり、集団を統率するリーダー層(支配者階級)や専門職(軍人、医師、発明家など)の登場が可能になる。そして、余剰カロリーは人口の増加も伴い、これに対応してより生産力を向上させるための野生の動物の家畜化と農耕への使役も始まる。国家の誕生である。

人類が農作物を生産するようになったきっかけはなんだろう。ある人類の祖先に農産物を生産する知恵に長けた先進性のある人物を得たという偶然性なのか。それとも人類としてスタートした時期の早遅の差であるのだろうか。植物はその種類の多く、その大陸にも多くの食料となる植物が生えていた考えるべきだろうか。実は、植物の多くは人類にとって容易に食料となる種類は限られていたのだ。人類が生きていくのに必要なカロリーを得られる植物は意外と少ない。これらの貴重な植物が自生していた地域でないと、狩猟採集から農耕への移行は起こらなかったのだ。それらの植物は、麦、米、ジャガイモなどである。当然ながら必要なカロリーを得られる植物が得られなければ、狩猟採集生活を捨て農耕定住化へのインセンティブは働かなかったのだ。

野生の植物をより人類の食料として有効な品種への改良はどのように行われたのだろうか。もちろん、はるか過去に人類に生物学的な知識があったわけではない。狩猟採集で野山に分け入った人類の祖先が、野イチゴが群生している場所を見つけたとしよう。その人類の祖先は、もちろん野イチゴの中でも実が大きく、甘そうなものを選び採集して集落へと持ち帰る。多大な労力で採集した野イチゴだから、もちろんそうする。そして集落でその野イチゴの種がこぼれ落ち、そこへ自生する。更に人類は狩猟採集生活を続ける中で、自然の選択として同じ行為を続けるなかで、集落の近辺に実が大きく甘いイチゴが選別されて自生しはじめる。これに気が付いた人類が、農作物として生産し始めることで、野生のイチゴより格段に食料として魅力的な農産物としてのイチゴが誕生する。人類は自然と新種改良を続けてきたわけなのだ。

人類は野生動物の中で農耕に使役でき、家畜として飼育できる動物を飼い始める。農作物だけでは不足する、タンパク質の接種と、より効率的に農作物生産し、余剰カロリーを産み出す。家畜と生活圏をともにすることで、病原菌に感染する確率が高くなる。コレラやペストの流行である。ヨーロッパでの病原菌の流行は多くの死者も出したが、これらに対する免疫もついたのだ。ヨーロッパ人は、南米のインカやマヤ文明を滅ぼした。これは先進的な武器としての鉄砲の威力による部分も大きいが、実はヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌に免疫を持たないインカやマヤ文明が、これに罹患して多く命を落としたからだ。

本書のタイトルは、ある文明が他の文明を滅ぼした直接の原因となった、「銃・病原菌・鉄」を表しているのだ。

「幸福の計算式」 ニック・ポータヴィー著

幸福の計算式 結婚初年度の「幸福」の値段は2500万円! ?

幸福の計算式 結婚初年度の「幸福」の値段は2500万円! ?

  • 作者: ニック・ポータヴィー,阿部直子
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 単行本
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本書はカバーデザインやタイトルから、幸せになるための習慣レクチャーや洒落た恋愛映画の原作かと想像し、自己啓発コーナーや恋愛小説コーナーを探しても見つからない。最新の心理学と行動経済学を一般にもわかりやすく解説したものとして、経済書コーナーにあるのだ。本書の試みは、一見ひどく不遜で興味本位な内容に思える。なぜなら、本書の理論によれば、結婚による幸福の値段は2500万円、愛すべき配偶者との死別を慰めることが出来る金額は3800万円、子供なら1500万円と値札を付けてしまうのだ。金銭で埋め合わせることなど出来ない喜びや悲しみを金銭に換算するなんて、世間から眉をひそめられる行為に違いない。

ジェレミーベンサム功利主義では、「最大多数個人の最大幸福」をもたらすものを正義であると論じた。「最大多数個人の最大幸福」とは、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきであるという意味で幸福計算と呼ばれる手続きを提案した。これは、ある行為がもたらす快楽の量を計算することによって、その行為の善悪の程度を決定するのだ。例えば、個人の犠牲よりも、その犠牲によって産出される他の人々の幸福の総計の方が大きいならば、道徳的ということになる。この道徳的原理の否定は先に話題となったハーバード白熱教室 マイケル・サンデル教授の正義についての講演でも疑問を呈されている。ベンサムは幸福が計量化出来るという立場に立っていることになる。幸福というものは、人により感じ方が異なる主観的なものであるから、比較計量化できないと最近までは思われていた。例えば、「あなたの今の幸福度は1あまり幸福ではない、2まぁまぁ幸福である、3すごく幸福から選んで下さい」という質問に対して、ある人の幸福度1から2への変化と別の人の幸福度2から3への変化は、順序をつけることで比較できる変数であり、その差異に意味は持たないとした「順序変数」であるとされてきた。ところが、統計学・数学の専門家は、ある人にとっての幸福度1から2の変化は、別の人の幸福度2から3への変化と等しいと考えた。これは、人がたいてい他人の満足度を予想したり認識したり出来るという心理学の実験による。

人はお金持ちになることでより幸福になるのだろうか?現在の経済学では、むしろこう言っている。「人はお金持ちになることで幸福になるのではなく、人は他者よりお金持ちになることで幸福になるのだ」とね。つまり、幸福は絶対的なものではなく相対的なものだ。これは、ある国が10年前より豊かになり、全国民が10年前よりお金持ちになっても、その幸福度は変わらないからだ。人は、グループの中で最も裕福であれば、次順位の人との収入差が例え500円であっても気にならないのだ。グループ内での順位が幸福度に大きな影響を与えるとすれば、誰からの順位が上下することで、他者の順位も入れ替わることになり、常に上位順位者が幸福となり下位順位者が不幸になるゼロッサムゲームになる。

人は理性的な生物ではない。ミルトン・フリードマンは、人の消費行動が将来の予測収入を反映して長期の平均的収入に左右されるとした恒常所得仮説を論じた。これは、現在の収入が多額でなくても将来得られるであろう収入を見越して現在の消費活動を決める特性で、それにより短期間の景気動向で消費活動に大きな変化はないとしたものだ。一方、ジェームズ・ジューゼンベリーは、自身の抽象的な生活水準より隣人と張り合おうという気持ちの消費活動が左右されるとした相対所得仮説を論じた。この場合、人の消費行動を正確に言い表したのは、ジューゼンベリーの方だった。会社のみんなが、ヴィトンのバッグを持っていたら無理して、こっちはエルメスのバッグを買いこんじゃう人がいますよね!
ダニエル・カーネマンのピーク・エンドの法則も面白い、あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まるという法則だ。無理して一括払いで数十万のエルメスのバッグを買うより、リボルビング払いで数十回分割にすれば、心を痛めることなく高額商品を購入してしまいやすくなる。このへんのカードローンの仕組みも心理学と経済学の応用なのですね。

というように、人は合理的ではないし、幸福を追い求めるというゼロッサムゲームも止められない。そうするとどうしたら人は幸福になれるのか。著者はタイ出身のシンガポール南洋理工大学シンガポール最大かつ工科系大学として世界最大級)の経済学部の先生だからか、仏教に答えがあるかもと落としている。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(=釈迦)は、シャーキャ族王・シュッドーダナの男子として現在のネパールのルンビニで誕生。王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で出家した。35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となった。釈迦は、幸福を追求すること自体が苦しみを産むと、幸福は永遠に続くものではないゼロッサムゲームだからだ。釈迦は中道に生きよ、つまり覚れと教えているが、これが幸福への正解だとね。なんだか、本書は盛りだくさんだ。最新の心理学に経済学、そして最後は釈迦の覚りにたどり着く。釈迦の覚りのところは、ちょっとボクにはわかりません。それより、経済学の最新理論が人の幸福を計数化するところが面白かった1冊ということ。

「危機の指導者チャーチル」 冨田浩二司著

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

チャーチルの回想録には思い出がある。中学生だった頃から本読みだったボクは、学校の図書館に足しげく通っていた。同じように図書館に通う同級生がいて、今読んでいる本や、おすすめの本について話をしたことがある。そのK君が読んでいたのがチャーチルトルーマンの回想録だ。当時のボクには、チャーチルトルーマンにも、全然興味が湧かなかったし、ページをペラペラとめくりはしたが、とても面白い内容には見えなかった。K君は、そんな本を趣味として読んでいたから「こいつはすごい中学生だ」と心の中で感心したのである。先日、そのK君の消息をネットで偶然発見した。K君は、いまではある大学で英国史を教えている先生だ。やはり、博士になるような人間は中学生の頃から違うわけである。他の同級生には、そんな奴はいなかった。本読みとして、学生時代に負けたなぁと思ったことが、本書を手に取り思い出されたのだ。

チャーチルほど研究されている政治家もいないだろう。チャーチルは、1874年にオックスフォードシャーウッドストックのブレナム宮殿に生まれた。このブレナム宮殿は、スペンサー=チャーチル家の祖先マールバラ公ジョン・チャーチルが、スペイン継承戦争中のブレンハイムの戦いで立てた戦功によって当時のアン女王から贈られた大邸宅なのだ。だから、チャーチルは英国の上流階級に所属する人物である。その後チャーチルは、当時の上流階級の子弟であれば、選ぶべき道のひとつを選択する。陸軍士官学校を卒業し英国の軽騎兵連隊に入隊する。当時の軍人の給与は非常に安く、それでいて軽騎兵は馬の飼料や馬方の給与まで自己負担であったから、持ち出しが多かった。チャーチルの時代、軽騎兵の将校になるということは、職業に就くということではなく、社会的身分を表すことだったのだ。更に、将校たちは戦争になれば、真っ先に敵に突撃していたから、その戦死率も極めて高かった。経済的な負担に加え、命をかけなければならないのだから「ノブレス・オブリージュ」つまり「高貴さは(義務を)強制する」という意味を忠実に行っていたわけだ。若き日の将校チャーチルの写真が掲載されているが、もちろんデップリふとつて葉巻を咥えたあの有名なチャーチルを想像できないほど、スマートで颯爽としている。

上流階級を出身母体とし社会的身分としての将校となったチャーチルであるが、軍人としての立身出世を考えていたわけではない。チャーチルの父親ランドルフは大蔵大臣までなった人物だが、その影響で早くから政界への進出を考えていたようなのだ。だから、チャーチルは将校として、またその戦地での報道を行う戦時記者としての二足のわらじをはくことになる。戦地の生の報道を行うことで、名前を広く売り、将来の政界進出の踏み台にしようという戦略だった。この戦時記者としての成功は、政界進出のための売名行為に加え、もうひとつ原稿料という大きな利得もあったのだ。チャーチルは上流階級出身だからお金に困るような家柄ではない。しかし、チャーチルの贅沢な生活は、それを上回る出費を必要としたから、結果としていつも資金繰りには汲汲としていたようなのだ。これを補うためチャーチルは、収入源としての著述業というものを実践したのだ。第二次世界大戦の戦時内閣の指導者としての視点で描いた著作は、30億円の印税収入をもたらしたというから莫大なものだ。チャーチルは、常に著述により収入を得ることを考えていたようで、政治的な判断も極力文書で残すように注意していた。この文書は後に回想録を著す上で、有効な資料となることを見越していたわけだ。それにより、ボクたちも当時の状況を詳しく、チャーチルの回想録で知ることができる。チャーチルの著述スタイルも独特である。チャーチルの回想録は、まずそのアシスタントによる前資料の作成から成るのだ。このアシスタントは当時の一流歴史家に依頼し、チャーチルの独自資料と併せて試作としての文章を作っていく、これをチャーチルが推敲して味付けし直すという作業を繰り返して完成させていく。また、チャーチルは口述筆記も多く利用し、秘書にタイプライターを打たせたのだ。チャーチルは、政府の要人と著述業というスタイルを確立した始祖であった。

チャーチルは、軽騎兵の将校出身であるから、自身の戦略というものに大きな自身があった。戦時内閣においても、首相として担当大臣へ間接的な支持を出すことや責任内閣制度として大臣が連帯して責任を負う制度方式を好まず、直接的な軍への支持を行った。そのために、国防相を創設して首相と兼務したのだ。国防相として、直接軍本部に戦略面での支持も出したので、軍幹部の方針とその溝を埋めるための調整役も必要とされた。チャーチルは平時より戦時における宰相としての能力が極めて高かったというのが本書でもその評価である。