「鎌倉文士骨董奇譚」 青山二郎著

鎌倉文士骨董奇譚 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

鎌倉文士骨董奇譚 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

ボクの学生時代に現国の題材となる難解な文章と言えば小林秀雄だった。ろくに勉強せずとも現国ならば点が取れると思い込んでいた本読みのボクとしては、何度読んでも内容が理解出来ない日本語の文章など無いであろうと思っていた。であるのに、小林秀雄は何度読んでも理解出来ず、それが劣等感の一部となって今に至っている。小林秀雄を正面きって読むことは、再度の劣等感の積み重ねとなる予感から、小林秀雄を交流のあった本書の著者である青山二郎の視点から見た小林秀雄を理解するというフィルターを通すことを期待して選んだのだ。

青山二郎は、麻布で青山八郎右衛門・きん夫妻の次男として生まれた。当時の青山家は大地主として、貸家業で多額の収入を得て、『時事新報』の全国の資産家名簿に常に名前を列ねるほどの裕福な家柄であった。そんな二郎であるから、実家の持家である長屋に貸家暮らしをしている身分のときも、二郎の身の回りの陶器や家具は豪華な骨董品を日常生活に惜しげもなく使っていたのだ。ある時、友人が二郎のもとを訪れて、「織部の逸品が手に入ったそうだね。見せてもらいに来た。」と言う。その友人が二郎の宅でタバコを吸いその吸いさしをこすりつけていた灰皿こそ、何のことはない当の織部だったのだ。このように二郎は、骨董を愛していたのだが惜しげもなく日常に骨董品を使いぬいていた。二郎は、当初資産家の両親からの援助でそんな生活を続けていたようで、それでも友人との酒代が不足すれば、骨董を売ったり借金したりと、それなりに苦労をしていた。

そんな青山二郎は何を持って身を立てていたのかと言えば、美術評論家である前に本の装丁家であった。陶器の絵柄に詳しかった二郎は、これをヒントに人気の装丁家として、十分に食べていけるほどであった。美術評論家としては、書物を読んだり大学で研究したりというタイプの評論家でなく、一つの陶器と果し合いをするごとく何日でもじっと向かい合い眺め、いじり、抱き合って、これはどこそこの宋の器であろうと結論する。これに至る論理的な説明は二郎に問うても答えられない、それでも二郎の鑑定は、専門家の判定にも勝ったのだ。小林秀雄は「美しい壺というものはある。しかし壺の美しさというものはない。」と言った。二郎もこれと一緒で、美というものは己の創造するものだという考えに立っていた。

ここまで書いていて、ふと突拍子もないことを思いついた。所ジョージの世田谷ベースに出てくる趣味のクルマ、模型いじりだ。所ジョージは、吊るしの新品を大そう好まない。だから、大枚はたいて買った新車に独特の感性でペイントしたり、大胆に加工してしまう。これがカッコいいというスタイル。これって、二郎たちの美というものがそこにあるものでなく、己で創造するものだの精神につながるんじゃないかって。小林秀雄や二郎は、戦争の影響もあるが鎌倉や伊東にひきこもり、美の創造に励んでいる。所ジョージが米軍の基地に見立てた遊び場で、自ら創造する美を追求していることに似ている。
青山二郎から見た小林秀雄、そしてその周辺の美というものへのスタイルから、あまりに話が飛んでしまったが、本書はそんな話だと思って読めば面白かろう。

都会を少し離れて隠棲し、自らの美を創造するという生き方に憧れる面がボクにもあるから引き付けられた一冊だ。そうそう、本書で二郎は北大路魯山人との交流についても大きくページを割いている。少し前、漫画「美味しんぼ」で美食を追求する陶芸家のモデルにもなった魯山人だから、こちらの方の興味もあれば是非読むことをおすすめしたい。