「危機の指導者チャーチル」 冨田浩二司著

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

チャーチルの回想録には思い出がある。中学生だった頃から本読みだったボクは、学校の図書館に足しげく通っていた。同じように図書館に通う同級生がいて、今読んでいる本や、おすすめの本について話をしたことがある。そのK君が読んでいたのがチャーチルトルーマンの回想録だ。当時のボクには、チャーチルトルーマンにも、全然興味が湧かなかったし、ページをペラペラとめくりはしたが、とても面白い内容には見えなかった。K君は、そんな本を趣味として読んでいたから「こいつはすごい中学生だ」と心の中で感心したのである。先日、そのK君の消息をネットで偶然発見した。K君は、いまではある大学で英国史を教えている先生だ。やはり、博士になるような人間は中学生の頃から違うわけである。他の同級生には、そんな奴はいなかった。本読みとして、学生時代に負けたなぁと思ったことが、本書を手に取り思い出されたのだ。

チャーチルほど研究されている政治家もいないだろう。チャーチルは、1874年にオックスフォードシャーウッドストックのブレナム宮殿に生まれた。このブレナム宮殿は、スペンサー=チャーチル家の祖先マールバラ公ジョン・チャーチルが、スペイン継承戦争中のブレンハイムの戦いで立てた戦功によって当時のアン女王から贈られた大邸宅なのだ。だから、チャーチルは英国の上流階級に所属する人物である。その後チャーチルは、当時の上流階級の子弟であれば、選ぶべき道のひとつを選択する。陸軍士官学校を卒業し英国の軽騎兵連隊に入隊する。当時の軍人の給与は非常に安く、それでいて軽騎兵は馬の飼料や馬方の給与まで自己負担であったから、持ち出しが多かった。チャーチルの時代、軽騎兵の将校になるということは、職業に就くということではなく、社会的身分を表すことだったのだ。更に、将校たちは戦争になれば、真っ先に敵に突撃していたから、その戦死率も極めて高かった。経済的な負担に加え、命をかけなければならないのだから「ノブレス・オブリージュ」つまり「高貴さは(義務を)強制する」という意味を忠実に行っていたわけだ。若き日の将校チャーチルの写真が掲載されているが、もちろんデップリふとつて葉巻を咥えたあの有名なチャーチルを想像できないほど、スマートで颯爽としている。

上流階級を出身母体とし社会的身分としての将校となったチャーチルであるが、軍人としての立身出世を考えていたわけではない。チャーチルの父親ランドルフは大蔵大臣までなった人物だが、その影響で早くから政界への進出を考えていたようなのだ。だから、チャーチルは将校として、またその戦地での報道を行う戦時記者としての二足のわらじをはくことになる。戦地の生の報道を行うことで、名前を広く売り、将来の政界進出の踏み台にしようという戦略だった。この戦時記者としての成功は、政界進出のための売名行為に加え、もうひとつ原稿料という大きな利得もあったのだ。チャーチルは上流階級出身だからお金に困るような家柄ではない。しかし、チャーチルの贅沢な生活は、それを上回る出費を必要としたから、結果としていつも資金繰りには汲汲としていたようなのだ。これを補うためチャーチルは、収入源としての著述業というものを実践したのだ。第二次世界大戦の戦時内閣の指導者としての視点で描いた著作は、30億円の印税収入をもたらしたというから莫大なものだ。チャーチルは、常に著述により収入を得ることを考えていたようで、政治的な判断も極力文書で残すように注意していた。この文書は後に回想録を著す上で、有効な資料となることを見越していたわけだ。それにより、ボクたちも当時の状況を詳しく、チャーチルの回想録で知ることができる。チャーチルの著述スタイルも独特である。チャーチルの回想録は、まずそのアシスタントによる前資料の作成から成るのだ。このアシスタントは当時の一流歴史家に依頼し、チャーチルの独自資料と併せて試作としての文章を作っていく、これをチャーチルが推敲して味付けし直すという作業を繰り返して完成させていく。また、チャーチルは口述筆記も多く利用し、秘書にタイプライターを打たせたのだ。チャーチルは、政府の要人と著述業というスタイルを確立した始祖であった。

チャーチルは、軽騎兵の将校出身であるから、自身の戦略というものに大きな自身があった。戦時内閣においても、首相として担当大臣へ間接的な支持を出すことや責任内閣制度として大臣が連帯して責任を負う制度方式を好まず、直接的な軍への支持を行った。そのために、国防相を創設して首相と兼務したのだ。国防相として、直接軍本部に戦略面での支持も出したので、軍幹部の方針とその溝を埋めるための調整役も必要とされた。チャーチルは平時より戦時における宰相としての能力が極めて高かったというのが本書でもその評価である。