「黒人はなぜ足が速いのか(走る遺伝子の謎)」 若原 正己著
- 作者: 若原正己
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本
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最近の国際大会男子100m走の世界トップ10は全員黒人である。ちなみに1位ウサイン・ボルト(ジャマイカ)、2位タイソン・ゲイ(米国)、3位アサファ・パウエル(ジャマイカ)となっている。特にエリート短距離走者の国籍は、カリブ海諸国のジャマイカ、バルバドス、キューバが目立つのだが、ジャマイカの人口は260万人、バルバドスはわずか26万人、キューバでも1120万人であり、これらの国の人口を合計しても1500万人程度である。人口13億の中国が北京大会ではじめて米国を金メダル数で追い抜いたが、短距離種目ではメダルゼロである。これに比べカリブ海諸国が短距離界のメダルを独占している事実には、大きな秘密があるはずだ。更に、選手の国籍はジャマイカ、米国などだが、その出自は全員が西アフリカに祖先を持っている。
一方マラソンなど長距離走者の世界はどうだろうか?エチオピア、ケニア、モロッコ、アルジェリアなどの東アフリカ、北アフリカの諸国がメダルを独占しており、短距離界の覇者である西アフリカ勢は一人も入っていないのだ。ただし、女子の長距離走者については、やや状況が異なり東・北アフリカ勢だけでなく、日本人(野口みずき、渋井陽子、高橋尚子)や中国人がトップテン入りしている。男女すべてのデーターを総合的に見れば、短距離は西アフリカ・カリブ海諸国が圧倒的に強く、中距離は東・北アフリカ勢が強く、長距離は東アフリカ勢が強い。ただし、超長距離になれば、日本や中国、韓国の東アジア勢力も活躍することができるという結果になる。
本書では遺伝子、走る遺伝子という視点から人種による運動能力の違いを解明しようとしている。走る速さとは、筋力の強さや柔軟性、筋肉と骨との結合にバランス、練習量、意欲・精神力と複数の要素による総合的な結果だから遺伝子のみにその原因があるわけではないとしながらも、特定の地域に偏ってトップアスリートが排出されていることから、何か遺伝的仕組みに大きな原因があるであろうという仮説を立てているのだ。
まったく同じ遺伝子を持つ一卵性双生児について、短距離走と長距離走のタイムを比べる実験をすると、短距離走では近いタイムが記録され、長距離走ではそのタイムに相関がみられない。どうやら、長距離走は、遺伝的資質が短距離走よりも影響を受けないようなのだ。
遺伝子とは、例えるなら設計図面というより「料理のレシピ」のようなものだと。料理の材料や盛り付け方を写真やイラストで示したものではなく、料理の作り方を文章で書いたレシピ(指示書)に近いというのだ。遺伝子のレシピにより筋肉を構成するタンパク質の性質が決定されているのだ。遺伝子が突然変異で変化すると、その変化によりタンパク質も変化するのだが、この逆はない。タンパク質の変化が遺伝子情報を変化させて、それを次世代へと伝えることはないのだ。遺伝子情報は一方通行となる。つまり、父親が筋肉トレーニングで筋肉隆々の身体をつくりあげても、このタンパク質の変化は遺伝情報として子孫には伝わらないのだ。遺伝子の世界では、原因が結果を生じせても、結果が原因を生じさせせることはない。これを「獲得形質は遺伝しない」という。
走力には筋肉の質がものをいい、短距離の瞬発力に速い運動に適する速筋が、長距離の持久力には持続的運動に適した遅筋が重要な役割を果たすのだ。aアクチニン遺伝子は、筋肉に存在する「aアクチニン」というタンパク質をコードしている遺伝子である。aアクチニンは「aアクチニン2」と「aアクチニン3」という2種類に分かれており、aアクチニン3をたくさん持つと瞬発力に優れる速筋が得られ、aアクチニン2をたくさん持つと持続的運動に適した遅筋が得られるのだ。人間は、父方と母方の双方から2組の遺伝子セットを持っており、aアクチニン3の正常遺伝子を持つR、変異を持つXとすれば、父方と母方の双方の組み合わせはRR,RX,XXの3通りとなる。この中で、RRのaアクチニン3の正常遺伝子同士の組み合わせは瞬発力に優れる筋力を持て、XXの変異を持つ遺伝子同士の組み合わせでは瞬発力を持つ筋力に劣ることになる。短距離走者のトップアスリートについては、XXタイプの遺伝子を持つ者はいないようなのだ。