「アメリカは本当に貧困大国なのか?」 冷泉彰彦著

アメリカは本当に「貧困大国」なのか?

アメリカは本当に「貧困大国」なのか?

本書は、堤美果氏のベストセラー『貧困大国アメリカ』に異議を唱え、米国の現状をもう少し丁寧に解説している。堤氏は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の時、米国野村證券に勤務しており、近くでこの事件を目撃したことで、自らの目で米国という国を見ようと、ジャーナリストとなったという。ちなみに、堤氏の夫は「薬害エイズ事件」原告で参議院議員川田龍平氏である。一方、著者の冷泉 彰彦氏はプリンストン日本語学校高等部主任としてアメリカ合衆国ニュージャージー州に居住しており、newsweek日本語版で「プリンストン発新潮流アメリカ」というコラム発信している。

「貧困大国アメリカ」では、高学歴でないと高収入の職に就けないことから、無理をしてでも大学へ行く学生にとって大学の授業料負担が大きく、年間200〜400万円ともいう授業料を払うために多くの学生が教育ローンを組み、卒業後仕事をしながら返済していく必要があるという現状をリポートしている。ところが、せっかく大学を出ても高収入の仕事どころか若年者に就職口がないという現状に苦しんでいるという隠れ貧困が大学卒業者の現状という論調である。この辺は、ニューヨークの金融街であるウォールストリートの一角で始まった「オキュパイ運動」に繋がっているんだなぁと思わせるものがある。この「オキュパイ運動」は、米国の上位1%の富裕層(金融街ウォールストリートの高給取りが代表としている)に対する残り99%のクラスが、経済格差の不満を噴出させた現れであろう。また、教育ローンを返済するためアメリカ軍に入るという選択をせざる負えない学生が、兵隊としてイラクに送られているというレポートも真実なのだろう。間接的には、イラクで戦死する若者の命も買われているのだという状況を批判する立場を取っている。

これらに対し、冷泉氏の方は真っ向から反対しているのではなく、「そういう面もあるが事実はもう少し違うのだよ」というスタイルを取っている。大学進学を希望する学生は、大学の高額学費を何とも思わない超富裕層か、教育ローンで首のまわらない貧困層だけしかいないのでなく、その中間の多数が存在する。冷泉氏は、これら中間層を無視して、両極端だけ取り上げる堤氏のレポートは偏りがありすぎ、アメリカの現状を公平に語っていないと言いたいのだろう。それでは、冷泉氏の言う多数の中間層の進学状況はどうのなのだろうか。一般的な高校生は大学進学にあたり5校ぐらいの志望校に願書を出すそうだ。もちろん個々の成績により入学の難易度は異なる。例えば、第一志望であるハーバードのような私立超有名A校、第二志望に居住する州のトップ州立大学B校、そして第三志望の有名私立校C校、第四志望の他州の有名州立大学D校、最後に地元の経済的な州立大学E校という併願をする。そして、アメリカには大学授業料の奨学金制度がきめ細かくあり、各自の能力によって補助される金額は様々なのだ。例えばA校の年間授業料が400万円で、入学許可が降りても、奨学金は50万であれば、自己負担350万である。ところが、第二志望のB校であれば、年間授業料が300万円で、A校に入学できる実力があるのだから成績は良好、奨学金は150万という申し出がくる。この場合は自己負担は150万円でかなり現実的になる。アメリカの高校生にとって、第一志望は入学許可が降りても学費の関係で断念せざる負えないケースが多い。第一志望校は、万が一奨学金がたくさん出たらの、ドリーム校である。現実的には、第二志望校あたりに入学するのが一般的なのだという。最近、日本のある塾の宣伝ポスターで、「第一志望は譲れない」とか「自分のトップ校へ行こう」などという広告を見かけるが、アメリカではだいぶ感覚が違うようだ。

堤氏も冷泉氏も、自分の立ち位置でアメリカをレポートしていて、それぞれその側面だけを切り取れば真実なのだろう。また、本としてのインパクトも側面を強調して書いた方が断然面白いだろう。だから、1つのレポートに偏らず、違う視点で書かれたレポートを読んで真実をイメージすることが良い。事件捜査における「裏づけ」というやつですね。

しかし、気になるのは日本も同様だが、米国も冷泉氏のいう中間層は減少してきている。そうなれば、現実はやはり堤氏の言う貧困大国アメリカに近いのかもしれない。冷泉氏は、オバマ政権に対して好意的なスタイルを取っている方なので、その分を多少差し引きして読む必要があるのかもしれが。