「お殿様たちの出世 -江戸幕府老中への道」 山本博文著

本年最後となる本として、本書を選んだ。日本人の日本人たる所以を思い浮かべるとき、江戸時代あたりを発祥とする伝統や風習による所が多い。学生時代に「最も好きな科目は?」と問われれば、歴史と答えた人が多いのではないか。それも好きな時代は、戦国時代そして江戸時代であろう。これ以前の時代に対しては、あまりにその年月が現代と隔たっているので親近感というか連続性を感じることが困難だからだと思う。逆に、昭和や大正ではあまりに近似的かつ現実的で憧れや理想とするには、ナマナマしすぎるのだ。先日、日露戦争を題材にしたテレビドラマ「坂の上の雲」が最終回を迎えた。その中で、中村草田男が大雪の日にかつて学んだ母校の青南小学校を訪問した際に、降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのまま明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いを詠んだ句「降る雪や 明治は 遠くなりにけり 」が挿入された場面があった。近代日本の歴史上から明治という時代は二度と来ないのだろうと感慨深いものがあったが、不思議にそれ以前の江戸時代というようなものは、今後の日本の将来において雰囲気としてあり得るのではいかと思うのだ。それは、司馬遼太郎が、小さい国である日本が希望をもって前に進むことのみ考えていた極めて楽観的な時代としての明治を日本史上における特異な時代であったとして物語の背景としていたからだ。現在の日本においては、行き詰まりそして閉塞感から明治の楽観的な時代の雰囲気はない。むしろ、爛熟し庶民を含めた文化が充実してきた江戸時代というものに、今後の日本の理想的な生活感を求めた方が現実的というものだ。

本書は、その江戸時代において政治の頂点に立った江戸幕府の老中というものに焦点をあてて書かれたものである。学生時代の授業において、老中とは関ヶ原以前から徳川家に仕える普代大名の中から選ばれる最も上級の役職として記憶している人が多いと思う。しかしながら、本書は老中制度の始まりから、どのような家柄がこれに選ばれたか詳細に分析をした結果、次のような意外な事実がわかった。老中職には就く家柄は、江戸幕府における普代最高の家柄ではないと。江戸幕府草創期に徳川家康の家臣として武功を立てた酒井、榊原、本多などの徳川四天王の家柄は一部例外を除いて、老中職に任命されていないのだ。老中には石高にして3万石程度の普代大名が任命されることが基準となっていた。酒井、榊原、本多などの徳川四天王の家柄は、普代大名としては異例の10~15万石の城持ち大名で、徳川家を有事の際に軍事的に支える役割を担っていたのだ。つまり、酒井、榊原、本多などの徳川四天王の家柄は、家柄が良すぎて老中にはなれなかったのだ。桜田門外の変で有名な大老井伊直弼の井伊家は普代大名の最高家柄であったが、実は大老を出しているものの老中は出していないのだ。もちろん、御三家・御三卿は徳川一門であるから老中職は出さない。老中は、あくまで江戸幕府における最高の行政官であった。

老中昇進の出世コースというものもあった。通常は、奏者番大阪城代京都所司代というケースが多かった。特に奏者番は、老中昇進の出世コースにおいて必須の経験役職であった。奏者番は、拝謁のため将軍の御前に出る大名の名前を披露するのが役目であったので、その立ち居振る舞いはもちろんのこと、言語明瞭で記憶力が抜群でなければ無事に勤められないということだ。

ただし、江戸時代全般を通して見ると、老中職は家柄、能力、将軍の受けなどが、その時々の事情によって思ったより柔軟に運営されていたようで、それが江戸幕府を長く滞りなく保てた大きな理由でもあったのだ。