「中国の大盗賊」 高島俊男著

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

本書の内容は、中国の盗賊の歴史、それも国を盗った大盗賊の歴史についてである。元祖盗賊皇帝は、漢の高祖劉邦であり、その後に大明帝国を成した朱元璋、最近では中華自民共和国の毛沢東へと続くのだ。本書は、中華人民共和国などと称しているが中国史に登場する盗賊国家と変わりないことを喝破しているのだ。

中国の地方行政の最少単位は「県」と言い、日本では小さな市程度の町にあたる。県より大きな町が「州」であり、その中でも重要な町を「府」と呼んでいた。府や州には、中央から分遣隊のような兵士が配置されて、治安を維持していたが、これは末端の県にまでは及ばないのが通常であった。そもそも中央政府は、地方に強力な兵隊を置きたくなかったのだ。地方の強力な兵隊が氾濫を起こして、首都を攻めてくるというストーリーを警戒していたのだ。だから、県の方では土地の有力者が、政府の依頼を受けて自治組織を作って自ら町を防衛していたのだ。中国の歴史書には、「県城」という言葉が良く出てくるが、県の周りに防壁を築いて防衛力を高めたものをこう呼んでいた。そして、県の自治組織の兵士はどこから来たのかであるが、当時の農村には、仕事もなくブラブラした農村の過剰人口があった。気の荒い若い者が仕事もなくブラブラしていたら物騒だから、兵士として食い扶持を与えて、町を守らせたら一石二鳥と考えたわけだ。この兵士として吸収されなかった、農村の過剰人口は、軟派なものは食うために流浪の旅に出かけ、硬派なものは盗賊になった。流浪の旅と書くと洒落ているが、言い換えれば「乞食」になるということだ。どちらにしても、自らの生産により食料を得られないので、他人の食料をあてにするわけだが、一方は乞い、一方は暴力で奪うということになる。

中国共産党も人民を封建的な地主や特権階級から解放するという大義を掲げていたが、その兵士は農村の過剰人口を率いて流浪していたというスタンスに変わりはない。県の有力者が自治のために兵士を組織していたのに比べて、まさに盗賊軍団であったのだ。毛沢東はインテリ階級だったから、この盗賊団に大義名分を与えて正義の軍団に模様替えしてしまった。しかし、その教義であったマルクス主義の労働革命というのは、都市部の労働者が資本主義における富の簒奪者に対する蜂起を想定するものだから、地方農村の過剰人口が盗賊団として反乱を起こすのとは根本的に異なるのだ。だから、中国における共産主義とは本来の共産主義とはまったく関係がない。むしろ、毛沢東が組織した盗賊団が国を盗り、毛沢東が皇帝として君臨したと考える方が無理がない。まさに、中国歴史に連綿と続く、地方勢力が中央の王朝を簒奪する流れの一つに過ぎない。

一つの王朝が倒れ、新たな王朝が起こる過程は、「禅譲(ぜんじょう)」もしくは「放伐(ほうばつ)」のどちらかである。禅譲というのは、比較的平和・上品に前王朝から権力を譲り受けることで、放伐の場合は暴力で奪ってしまうという形式上の違いにすぎない。中国共産党王朝は、清王朝放伐し、皇帝として現在も君臨しているというように視点を変えると、中国の現実というものも理解しやすいのだろうと思う。