「企業という幻想」 スコット・A・シェーン著

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実

会社に雇われ給与所得を得ることで日々の生計を営む凡人にとって、「起業」という言葉は、なんて甘美なものなのだろうか。企業家についてイメージするのは、つい先日故人となったAppleのスティブ・ジョブス、世界一の資産家ビル・ゲイツ、グーグルのセルゲイ・ブリンにフォーブス400にランキングしたFace bookのマーク・ザッカーバーグといったところだろうか。アメリカは経済格差も大きいが、リスクに対する投資意欲が旺盛な世界でも最大の起業大国である。という前提は、起業というキーワードの背景においての絶対神話である。本書の著者は、その絶対神話の根拠は何かを問う。問われた人は、「この前読んだ本に書かれていたと思う」「TVで経済評論家がそうコメントしていたよ」「それって疑う余地がない常識だろ!」と皆口を揃えて言うのだ。実はこのアメリカの起業大国神話の根拠となる客観的なデータはないと著者は言う。いや、むしろ冷静に統計的な見地から米国の起業状況を見たとき、あまりにその実態と乖離していることに本書の読者は唖然するだろう。本書は、これから起業したい、又はスタートアップしてまだ数年という新しい起業家であると読者にとって、あまり情熱や夢を揺さぶられる楽しい話ではない。起業して成功するためには、まず冷静な目で現実を見極める必要があると考える人に最適なのだ。

アメリカは、世界の中でも起業大国なのだろうか?自営業率(自らビジネスを起こしているとい意味での自営業)のデータから世界の起業大国は、トルコ、メキシコ、韓国、ポルトガルなのだ。アメリカはトルコの自営業率30%の4分の1である7.2%にすぎないのである。ちなみに日本は、10.8%とアメリカより上位に来ている。この各国間の自営業率の格差は、一人あたりのGDPが大きな要因となっている。一人あたりのGDPが高ければ高いほど自営業率は低くなる傾向がある。国が豊かになると実質賃金が上昇し、機会費用が増大するのだ。機会費用とは、「あるものを得るために放棄したものの価値」であるから、この場合、会社を辞めることで良い給料を得られなくなるというリスクということになる。経済的に豊かでない国の賃金は低いので、捨てるに惜しくない。つまり、失うものが大きいほど人は起業に踏み切れないのだ。

起業には地域によりバラツキがあるのだが、アメリカ国内における起業率の高い地域はどこであろうか?シリコンバレー、シアトルだと考えたなら間違いだ。答えは人口1人あたりの起業率が最も高いのは、サウスダコタ州ヤンクトンやアラバマ州アニストン(そりゃ一体どこなんだ?)なのだ。仮に人口1人あたりの起業率が満点の場所があったとしたら、そこは住民が全員自営業だから、会社を起こしても従業員を雇えないことになる。マイクロソフトやグーグルはそれじゃ会社を維持できない。そして、起業する人は仕事がある人よりない人が多い傾向がある。つまり失業率の高さは起業率の高さと相関関係にある。仕事がない人は、1日中テレビを見ているよりは、自営業でもして方がましだと考える。機会費用という点では、テレビ鑑賞を放棄することの価値は相当に低いからだ。

残念なデータなのだが、起業家の多くがそのスタートアップする業界の選定について根本的な間違いを犯していると言っている。起業家は儲からない業界でスタートアップするケースが非常に多いのだ。典型的な起業家が、スタートアップする業界は、サービス業、建築業、小売業なのだ。ふつう起業家は競争が少なく利益を出しやすい業界を選定するものだと言う常識を持っていると思うが、実際は既存の業界比率と同様となるのだ。つまり、起業前の現在の職業の業界を選択するということだ。そして、前の雇い主とほぼ変わらぬ商品やサービスを同じように顧客に提供するということになる。結果として、5年間継続できる企業は45%、10年間継続できる企業は29%である。そして、自営業の利益の中央値は3万9000ドルで、毎年1万ドル以上の利益を上げられるのは30%程度にすぎない。つまり、10年後の企業の生存率は3割を切り、生き残っていたとしてもさして儲からないという現実がある。ただし、本書では10年以上継続している企業は毎年効率が改善され生産性が上がる傾向があるとも言っている。

女性や黒人は起業に成功する例は少ないという。これは偏見ではなく、女性の起業目的が子育てなどのためにフレキシブルな労働形態を目的として起業していて利益の追求が第一目的とならないことや黒人はスタートアップに必要な平均的資金を得にくいという理由からだ。本書では、シリコンバレーでハイテク企業を起業した一握りの成功者があまりに注目を浴びすぎて、真の起業家の姿が見えなくなってしまったと。これらの成功者は雲ひとつない晴天の日にプールで泳いでいて雷に撃たれるほどの稀有な事例なのだ。そして、本当の起業家のイメージはこうだ。「40代既婚の白人男性で、誰かの下で働きたくないので自らビジネスを始め、高成長を目的とするのでなく日々の生活をやりくりしようとしている隣人」だと。

本書は起業というものを冷静な数値で比較分析してその真実を描き出しているが、起業そのものを否定しているわけではない。一部には起業により莫大な資産を築く者がいることは事実だし、起業以外にそのような資産を築く手段はほとんどない。また、他人のためより自分のために働くことは、楽しいものだ。だから、起業神話というものを盲目的に信じるのではなく、現実がどうなのか冷静に数値で見極め高利益の成長企業を目標とする起業には意味があると言っている。そもそも、10年後の生存率3割以下の起業なのだから、シビアに現実が見られる経営者になれってことですね。