「ハチはなぜ大量死したのか」 ローワン・ジェイコブセン著

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

ハチはなぜ大量死したのか (文春文庫)

ある日、養蜂家はミツバチの巣箱を開けていつもと違う光景に疑問と不安を抱いた。常に巣板をビッシリ埋めているはずの働きバチがいないのだ。不思議に思った養蜂家は、隣の巣箱そのまた隣の巣箱と、かたっぱしから巣箱を開けて確認していくのだが、どの巣箱も物抜けのカラであった。2007年の春、北半球の4分の1のミツバチが失踪してしまったのだ。不可思議なのは、巣箱周辺にミツバチの死骸はなく、跡形もなく消えた。そう、まさに失踪したのだ。

数年前にボクは手の甲をハチにさされ、一週間ほど脹れがひかなかった記憶がある。危険なハチの数が減った。一瞬、「ケッコウなことではないか」と思ったのだが・・・よく考えてみれば、ミツバチは人間生活に必要不可欠な生物なのだ。ミツバチがいなくなれば、ボクらの朝食になるリンゴ、梨、ブルーベリーも、デザートのチョコケーキのナッツも手に入らなくなるということだ。そう、ミツバチは人類にとって最も有能な受粉媒介者なのだ。

2000年代アーモンドは最も儲かる農産物だった。中央アジア原産のアーモンドは、暑くて乾燥した夏とひんやりとして湿った冬という中近東に似た特定の条件の土地でしか育たない生育条件が厳しい植物だ。この生育条件に合う土地は、世界でもスペイン、トルコ、ギリシャ、中国の一部そして米国のカリフォルニア州である。更に、アーモンドは生育条件が一致するだけではダメで、バレンタインの時期に一斉に開花し、その際に受粉媒介する昆虫が必要不可欠なのだ。その役目に最適なのがミツバチである。この時期、米国の養蜂家は、トレーラーに何千と巣箱を積載してカリフォルニアのセントラルヴァレーを目指すのだ。

最近の研究で、アーモンドの実の生産効率を上げるには、農園内のミツバチを飽和状態にする必要があることが分かってきている。だから、ミツバチとアーモンドには経済における需要曲線の関係があるのだ。アーモンド農園主はバレンタインの開花時期に多くのミツバチを必要とし、養蜂家のミツバチは数に限りがある。養蜂家にとって、アーモンド受粉媒介にミツバチの巣箱を貸し出すことは、年間を通して養蜂に必要となるコストを回収する上で重要なビジネスチャンスなのだ。ボクたちが想像する蜂蜜を取るビジネスよりレンタル巣箱の方がいい儲けになるということだ。このアーモンド受粉媒介取引がなければ、アーモンド農園主も養蜂家も、ともに生活が成り立たない共存関係にあると言えるのだ。巣箱は、1970年代に1箱10ドルだったレンタル料が、2004年には50ドル、2008年にはなんと180ドルまで高騰していった。もちろんこれだけのレンタル料を払ってもアーモンド農園主は儲けることができるのだ。ミツバチは巨大なアーモンド産業の経済の一部に組み込まれているというわけだ。

問題は、ミツバチたちが突然失踪した原因だ。ミツバチヘキイタダニという天敵が大繁殖したという説、農薬の影響によるものという説、地球の生態系に大きな変化がおこったという説。とにかく諸説様々でミステリー小説にように最後に「犯人はオマエだ!」というほど単純な話ではない。ひとつの有力な説として、夢の農薬イミダクロプリドの影響というものがある。この防虫剤は昆虫の神経毒薬である。この神経薬の効果は、生物の短期的記憶喪失、方向感覚の喪失などである。人間で例えるならアルツハイマー症状と言えば分かりやすい。このような神経毒を畑や果樹園に噴霧することが、なぜ夢の農薬といわれるのかと言えば、このイミダクロプリドは直接生物を死に至らしめるわけではなく一時的にアルツハイマー状態にするだけで、ある程度の量を摂取しない限り生体になんの影響も与えないからだ。つまり、微量のイミダクロプリドは昆虫をアルツハイマー状態にするが、人間がこの程度の量を摂取しても何の危険性もないということになる。そして、この文の最初で言ったように、ミツバチは失踪したのであり、死骸が巣箱周辺で発見されていない。これらから、花粉採集に出掛け、その最中にアルツハイマー状態になったミツバチは、短期記憶と方向感覚の喪失で自分の巣箱へ帰還できず、途中で墜落したと推定すると事件の謎はとけたように思える。

このイミダクロプリドという薬剤であるが、「もしかしたら?」と思い、ボクがこの前アリの巣退治のために購入した「アリの巣コロリ」の成分を確認すると、ちゃんと入っていたのだ。本書は、犯人探しのミステリーとは一線を画する。イミダクロプリド犯人説の更に先の考察もあるのだ。生物の進化がいかに精密に機能しているのか、本書の後半は植物と生物の共存関係について多くの驚きを与えてくれるのだ。