「江戸の政権交代と武家屋敷」 岩本 馨著

江戸の政権交代と武家屋敷 (歴史文化ライブラリー)

江戸の政権交代と武家屋敷 (歴史文化ライブラリー)

江戸の古地図と現在の地図を重ね合わせて眺めることは面白い。自宅から散歩に出かけるのに手頃な距離に根津権現と呼ばれる神社がある。この神社、境内に入ると、朱塗りのどこか見た記憶のある社殿が鎮座している。どこか見たことのあるというのは、日光の東照宮にその様式が似ているからである。まぜ、この街中の中規模な神社に日光東照宮と同じ様式の社殿が建っているのか?それにはちゃんとしたいわれがあるのだ。

六代将軍家宣(いえのぶ)は、将軍となる以前、綱豊と言って25万石(のちに10万石加増され35万石)甲府藩の藩主であった。この25万石というのは御三家水戸徳川家の28万石に匹敵するもので、そこからも家格の高さが分かるであろう。その綱豊が生まれたのが、甲府下屋敷であり、現在の根津神社で場所である。豊綱が6代将軍家宣となることにより、その屋敷地を献納して天下普請したもので、権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)を採用しているのだ。大名屋敷というのは、上・中・下に蔵屋敷といくつかの種類がある。上屋敷というのは大名本人が居住する本邸で、中屋敷は隠居した大名が住んだりするところ、下屋敷は江戸の中心が離れた郊外などに建てた別荘であり、蔵屋敷は名前の通り蔵としての役目があった。だから、下屋敷に大名本人が出かけることは少ない。時代劇で、悪質な家来が賭場を開くのが大抵下屋敷なのは、本邸から目が届かぬ郊外であるからだ。ここにもちゃんとした理由があるのである。という下屋敷で藩主になり、将軍ともなる家宣が生まれたのには理由があった。家宣の生母は側室で、ちょうど家宣誕生の頃、父の綱重に正妻としての京都の公家二条家からの婚姻の話があり、側室として遠慮があったのであろう、上屋敷に居られない立場だったのだ。

本書は特定の将軍についての歴史物語ではない。その主題は、歴代将軍の政治に関わり、その周辺の大名・旗本の屋敷がいかに江戸という都市の中で変遷していったかを追ったものだ。大名・旗本屋敷というものは、江戸期を通じて由緒ある一定の場所に変わらず建っていたというイメージがある。しかしその実体は、かなり流動性があったのだ。将軍の側近たちは、西ノ丸下という江戸城中枢の地域に屋敷を持っていたが、西ノ丸下の屋敷は将軍が変わるとガラリと持ち主も変わる。前将軍に近い者は、新将軍の側近に取って代わられ、左遷されてしまうのだ。旗本の屋敷は、将軍から拝領を受けたものであり、拝領と所有権とは明らかに異なるのだ。であるから、簡単に取り上げられ、新たな者に与えられるものでもあった。意外と流動性が高いものだ。これは、米国大統領が変わるとそのスタッフが大挙してホワイトハウスを出ていくのに似ている。

拝領屋敷には、その者の石高により厳然とした基準があった。300〜900石の中流武家は500坪、2000石ぐらいの大旗本になれば1000坪、数万石の大名で5000坪、そして大老柳沢吉保を代表とする側用人になれば7000坪にもなる。家格に応じて、ふさわしい屋敷面積というのがあるのだ。新井白石は300石取りのとき、250坪の屋敷の拝領を申し出たが、これでは石高に釣り合わない狭すぎるということで、却下されてしまう。

本書は、史料に記された屋敷地の新旧拝領者を系統付けて照合し、実名、家禄高、役職履歴などを調べて、屋敷場所を絵図で確認して位置を特定する作業を膨大な時間をかけて行ったことで、拝領をめぐる様々な物語が見えてきたという。データを裏付けとした視点で江戸を見直した1冊。「もし無人島に1冊だけ持っていくのならば、地図だろう」という話は聞くが、江戸の古地図を隠されたストーリーと時系列で立体的に考察することは、より興味深いではないか。