「ヤバい社会学」 スディール・ヴェンカテッシュ著

ヤバい社会学

ヤバい社会学

著者はシカゴ大学に通う学生であった。本書では、まずシカゴ大学周辺の環境が説明されているのだが、コテージ・ヴローブ・アベニューという通りを挟んで、一方は優秀なシカゴ大生が、勉学やスポーツにせっせと通うキャンパスがあり、もう一方はアフリカ系アメリカ人がたむろするうらぶれた地域が並存するのだ。日本では数ブロック先が危険地帯というよう街はあまり存在しない。アメリカは、格差社会と言われて久しいが、各階層の住民が日常生活で一切交りあうことなく暮らしているそうで、富裕階層が貧困層をテレビニュースで見ることはあっても、リアルに生活の一部として接することはない。通勤地獄でとにかく大勢の人が詰め込まれた日本の密な社会とは大いに異なる。同じ国に暮らしていても、各階層はお互いに関わりない世界で暮らすことができるのだ。大学では、事あるごとに、通りの向こう側に行くことは避けるようにと告知があるのだが、著者は通りの向こう側にあるワシントン・パークに出掛け、そこで時間を過ごすことに、危険や違和感を抱かないタイプの人間であった。そして、著者は社会学の論文を書くため、シカゴのアフリカ系アメリカ人の貧困社会にアンケート調査にノコノコ出掛けて行く。それも通りの向こう側のワシントン・パークのそのまた向こう側にある、ギャングの巣窟ロバート・テーラー・ホームズ(全米で最悪の治安状態の団地)へ。

著者はロバート・テーラー・ホームズで戸別調査を始めてしまう。ドアをトントンと叩き、出てきた住人に「あなた貧しい黒人に生まれてどんなふうに感じますか?」「1.すごく良い、2.まぁまぁ良い、3.ふつう、4.あまり良くない、5.最悪である、のうちどれに当てはまりますか?」などと、もちろん住民から相手にされない。おまけに、団地にたむろするギャングに、対立するグループの偵察員と疑われ軟禁されてしまう。そこで出会うのが通称JTであり、彼はロバート・テーラー・ホームズを牛耳るシカゴのギャング組織ブラック・キングスのリーダーである。実は彼、ギャングリーダーなのだが大学出である。その才覚によりブラック・キングスで出世街道まっしぐらの裏社会エリートだ。それでもって、JTは著者のアフリカ系アメリカ人の調査に共感というか、個人的な興味をもってか、著者を気に入って、この裏社会への出入りのドアを開けてくれたのだ。このギャングの仕事(「しのぎ」というらしい)って、「どんな感じ?で、どのくらい稼げるの?」を調べ始めるのだが、内容が内容だから簡単にいかない。ヤクの売人がいくら稼いでいるとか、ギャングのメンバーの給料明細、ショバ代なんか、はいどうぞと見せて貰えないし、そもそも経理帳簿が備え付けてあるわけでもない。ヤバイ情報だから、書面に残さずほとんどリーダーのJTの頭の中なのだ。JTの部下に、二人の幹部がいる。治安担当のプレイスと管理担当のT・ボーンだ。プレイスは出入りとかメンバーの処罰とか、T・ボーンは経理とか事務方ですね。どうやら、JTの稼ぎは1000万クラス、二人の幹部が300万ぐらいらしいのだ。幹部でこれだから、末端の兵隊はほとんど稼げない、それでギャングがマクドナルドでバイトしていたり、ママと同居していたりするのだ。命をかけてヤクを売捌いてこの年収では割が合わないのだ。そう、ギャングで高級外車を乗り回し、でかい家に住むなんて、ほんの一握りの上層部だけなのだ。そのへんの経理明細は、後に逮捕され刑務所送りになってしまうT・ボーンから著者が秘密の帳簿ノートを譲り受けることで判明していく。

社会学では、著者が最初やろうとしていた調査にようにアンケートによる調査対象の比較を行うのが常道のようである。しかし、今日はこのギャングにインタビューし、明日はそのライバルのギャングにインタビューというわけにはいかない。ギャング社会をウロウロしていたら、撃ち殺されかねない。著者は、まれにほんもののギャングに受け入れられ、その内幕を学者の視線で冷静に観察できる好機に恵まれた。そんな貴重な体験と調査データに注目したのが、経済学者スティーブン・レヴェットだ。裏社会の数値的解説は、このスティーブン・レヴェットの「やばい経済学」を読むと良い。ボクがこの「やばい社会学」を読もうと思ったのも、「やばい経済学」が面白かったからだ。本書は、「やばい経済学」のスピンアウト版だと思えばよい。